ニュースリリース

2007年1月6日
日本経済新聞/2007年1月6日号「九州のマーケット質高めたい」
日本経済新聞/2007年1月6日号「九州のマーケット質高めたい」
「福岡に投資会社、不動産開発展開『九州のマーケット質高めたい』〜旧ダイエー事業が契機 〜」
米系証券会社に在籍し、旧ダイエー福岡事業の入札を争ったほか、全国で初めて地域限定の不動産投資信託(REIT)を上場させた。福岡市で投資会社を設立、現在は九州で不動産開発を進める。「地元デベロッパーの資金調達力が高まれば、九州は投資先としてもっと魅力的になる」との思いは熱い。
三井不動産に勤めていた1993年、米ペンシルベニア大学ウォートン校に留学、不動産金融を勉強。三井不の米国現法を経て99年リーマン・ブラザーズに転じた。 「日本で不動産証券化の手法が普及する前の不動産融資は金額融資するか、全く融資しないかの「○か×」。リスクを計量的に評価する証券化はまさにコロンブスの卵でした」
「当時の日本の不動産業界はボロボロ。今や飛ぶ鳥を落とす勢いの三井不でも、新規の大型投資はほとんど認められませんでした。取引先の外資系から「日本で一千億円を投資する。英語が話せて金融の知識がある人を探している」と誘われました」「リーマンで働いた4年半で証券化の手法を身につけ「これでどこに行っても5年から10年はメシを食える」とおもいました。日本の不動産マーケットは巨大なのに、証券化はほとんど手付かずだったからです。米国も92~93年ごろ不良債権処理に苦しみ、当時の経験者が大勢来日していました。頭の中はすでに3年後の不動産業界のイメージがえがかれており、不良債権の売買ではいつも外資系同士で入札を争ってました」
旧ダイエー福岡事業の入札で福岡へ頻繁に出張することになる。奔走するうちに福岡地所(福岡市)の榎本一彦会長と懇意になり、福岡リート投資法人の設立を持ちかけられた。 「『野球場はインフラで、利益はださない』と考えて2003年、『資金の9割をリーマン、残り1割を地元が出す』という案を取りまとめようとしました。結果的に実現できませんでしたが、このとき地元経済界と自治体をつないでくれた榎本会長に誘われ、福岡リートの運用会社、福岡リアルティ(福岡市)に移籍。給料は下がったが『地元の為になるし、キャリアアップのための踏み台にすればいい』と口説かれました」
「福岡リートは投資先が九州に限られ『投資家がついてこないのでは』と心配されましたが、東京の投資家のニーズはよく知っていたので自信はありました。 福岡地所がシンガポール政府投資公社(GIC)に対する商業施設「キャナルシティ博多」(福岡市)の売却交渉を並行して進めていたことから推測すると、榎本会長は福岡リートが本当に成功するか半信半疑だったと思います」 福岡リートを上場させて福岡地所などから相次いで資産を取得、資産規模を一千億円程度まで膨らませた。投資会社の玄海キャピタルマネジメント(福岡市)を興し今は九州を中心に不動産開発を手掛ける。
「REITは保守的な投資しかできなかったのでもっとリスクが高い投資ができる二百億円規模の私募ファンドを組成しました。九州各県にパートナーとなる不動産会社を育て、出資することも検討しています。 地方都市にもっと投資して、九州の不動産市場の質を高めていきたいです」
米系証券会社に在籍し、旧ダイエー福岡事業の入札を争ったほか、全国で初めて地域限定の不動産投資信託(REIT)を上場させた。福岡市で投資会社を設立、現在は九州で不動産開発を進める。「地元デベロッパーの資金調達力が高まれば、九州は投資先としてもっと魅力的になる」との思いは熱い。
三井不動産に勤めていた1993年、米ペンシルベニア大学ウォートン校に留学、不動産金融を勉強。三井不の米国現法を経て99年リーマン・ブラザーズに転じた。 「日本で不動産証券化の手法が普及する前の不動産融資は金額融資するか、全く融資しないかの「○か×」。リスクを計量的に評価する証券化はまさにコロンブスの卵でした」
「当時の日本の不動産業界はボロボロ。今や飛ぶ鳥を落とす勢いの三井不でも、新規の大型投資はほとんど認められませんでした。取引先の外資系から「日本で一千億円を投資する。英語が話せて金融の知識がある人を探している」と誘われました」「リーマンで働いた4年半で証券化の手法を身につけ「これでどこに行っても5年から10年はメシを食える」とおもいました。日本の不動産マーケットは巨大なのに、証券化はほとんど手付かずだったからです。米国も92~93年ごろ不良債権処理に苦しみ、当時の経験者が大勢来日していました。頭の中はすでに3年後の不動産業界のイメージがえがかれており、不良債権の売買ではいつも外資系同士で入札を争ってました」
旧ダイエー福岡事業の入札で福岡へ頻繁に出張することになる。奔走するうちに福岡地所(福岡市)の榎本一彦会長と懇意になり、福岡リート投資法人の設立を持ちかけられた。 「『野球場はインフラで、利益はださない』と考えて2003年、『資金の9割をリーマン、残り1割を地元が出す』という案を取りまとめようとしました。結果的に実現できませんでしたが、このとき地元経済界と自治体をつないでくれた榎本会長に誘われ、福岡リートの運用会社、福岡リアルティ(福岡市)に移籍。給料は下がったが『地元の為になるし、キャリアアップのための踏み台にすればいい』と口説かれました」
「福岡リートは投資先が九州に限られ『投資家がついてこないのでは』と心配されましたが、東京の投資家のニーズはよく知っていたので自信はありました。 福岡地所がシンガポール政府投資公社(GIC)に対する商業施設「キャナルシティ博多」(福岡市)の売却交渉を並行して進めていたことから推測すると、榎本会長は福岡リートが本当に成功するか半信半疑だったと思います」 福岡リートを上場させて福岡地所などから相次いで資産を取得、資産規模を一千億円程度まで膨らませた。投資会社の玄海キャピタルマネジメント(福岡市)を興し今は九州を中心に不動産開発を手掛ける。
「REITは保守的な投資しかできなかったのでもっとリスクが高い投資ができる二百億円規模の私募ファンドを組成しました。九州各県にパートナーとなる不動産会社を育て、出資することも検討しています。 地方都市にもっと投資して、九州の不動産市場の質を高めていきたいです」